中山製鋼所グループは、公正な競争を通じて付加価値を創出し
経済社会の発展を担うとともに、社会にとって有用な存在であり続けます。
鉄は、古来より人間社会の発展に大きく貢献してきました。私たちの暮らしに、産業に、社会に欠かすことのできない存在です。そして、未来社会にも欠かすことのできないマテリアルです。だからこそ、当社は鉄に夢を託して、鉄の新たな道を探し続けていきます。新しい鉄の時代を切り開き、都市型製鉄所として、省資源、リサイクルを徹底した鉄づくりに尽力し、都市や人との共生・調和を図ります。これからも当社は新しい鉄のチカラで未来を築いていきます。
創業100周年を迎えました。
当社は1919(大正8)年、尼崎の地において創業者中山悦治が、当時の日本ではまだ珍しかった亜鉛メッキ鋼板の作業所を開設したことからスタートしました。従業員10名、メッキ窯1基の零細企業でしたが、中山悦治自らの陣頭指揮により順次業績を拡大し、現在地である大阪市大正区船町に移転しました。その後、『 株式会社中山悦治商店』を経て、1934(昭和9)年、社名も現在の『株式会社中山製鋼所』に改称。移転後は、薄板・厚板・棒線・平炉・電気炉の各工場を建設。特に薄板生産は、当時の日本では生産技術が確立されていなかったため、大変な苦労を積み重ねた末、ようやく商業生産にこぎつけることができました。さらに1939(昭和14)年には念願の高炉を建設し、日本で3番目(民間では2番目)の銑鋼一貫メーカーとなりました。
1919
創業~希望を胸に
1919年(大正8年)、中山製鋼所の歴史は兵庫県尼崎市からスタートしました。個人事業として丸太小屋の作業所から始まった創業者 中山悦治の挑戦が弊社の全ての原点です。
1923
法人化~発展のとき
1923年(大正12年)、組織を法人化し『株式会社 中山悦治商店』を設立します。資本金は当時で50万円。(現在で凡そ20億円)その多さから、発展スピードの凄まじさがわかります。また、この頃、現在の地(大阪市大正区)へ移転しました。
1934
中山製鋼所 誕生~満を持して
1934年(昭和9年)、社名を株式会社 中山製鋼所に改称します。製品構成も、亜鉛鉄板だけでなく薄板、厚板、線材等多種多様なニーズに対応出来るものとなりました。『お客様第一』の姿勢は今も受け継がれています。
1939
銑鋼一貫体制確立~飛躍
1939年(昭和14年)、高炉が完成します。ここに念願の銑鋼一貫生産体制が確立し、押しも押されぬ鉄鋼メーカーとなりました。
中山悦治の頭には、丸太小屋から始まった歴史が走馬灯のように頭を巡ったことでしょう。
1945
全工場の休止~雌伏のとき
1945年(昭和20年)、第二次大戦の敗戦に伴い日本各地の大規模工場は休止を余儀なくされます。当社の工場もまた、全面休止することとなりました。
1953
操業の再開~復活
1953年(昭和28年)、日本初のテレビ放送が開始されたこの年は、当社にとっても記念すべき年となりました。これまで、順次設備の再稼働を行ってきた中、止まったままだった高炉がいよいよ再開します。これで、現日本製鐵、現JFEに次ぐ国内3番目の銑鋼一貫体制への復帰を果たすこととなりました。
1960~
1960
2製鋼所の竣工~基盤拡充
戦後の高度経済成長の影響もあり鉄鋼需要が増大すると、そのニーズに応えるため1960年(昭和35年)に名古屋に、62年(昭和37年)に清水に新たな製鋼所を建設します。これにより関東/東海圏への供給拠点を確立しました。
1973~
1987
第一次合理化計画~新設備導入
設備投資が比較的遅れていた当社は、この頃次々に新設備を導入し競争力の強化に乗り出します。これにより企業体質が強化されました。また、積極的に福利厚生施設の充実に着手し始めたのもこの頃からです。
1991~
2000
さらなる投資~体質強化
バブル経済崩壊、ゴーンショック等の影響により国内経済が落ち込んでいたこの時代、当社の業績も苦しいものになっていました。当時世界最高水準の性能をもった熱延工場は、そのような状況の打破の期待を一身に受け建設され、現在も当社の主力工場の一つとして稼働しています。
2001
微細粒鋼の開発~技術の中山
前年に稼働を開始した熱延工場は、その設計段階から様々な機能を随所に盛り込んでいました。そして2001年に世界で初めて微細粒鋼の工業的な製造に成功しました。
2002
高炉の休止~生産体制改革
1939年(昭和14年)に操業を開始した当社の高炉は関西最古の高炉として知られていましたが、その老朽化から、2002年に休止することとなりました。ここから、当社は電気炉メーカーとしての歩みを始めることとなりました。
2009~
2011
構造改革の断行~苦難の克服
2008年(平成20年)、リーマンショックが発生。それまで安定的に黒字を計上していた弊社もその影響を受け業績が一変し、立て直しが急務となります。その一環として各種設備の休止や資産の売却などと共に人員削減も実施致しました。苦渋の決断でしたが、これらの取り組みがあり、黒字への道筋が整いました。
2012~
2019
事業再生計画~創業100周年
様々な構造改革の実行により、下準備が整った2013年(平成25年)、いよいよ本格的な再生への行動を開始します。事業再生計画と銘打った再建策を策定、実行した結果、わずか3年で黒字へと転換し、当社は復活を遂げました。そして、2019年(令和元年)、創業100周年を迎えることが出来ました。
2020
新生中山製鋼所~再始動
『次の100年』に向け、当社は様々な行動を行っています。
まず、より一層の社会貢献を目指し、新たな経営理念を作成しました。そして、2022年に子会社の中山三星建材と合併し、正に『新生中山製鋼所』としてのスタートを切ることとなりました。