戦後、大船橋に掲げられた
第2高炉再開を祝福する大阪府、大阪市の看板(1953年3月)

戦後、薄板工場操業再開(1951年2月)

第2高炉再開(1953年3月)

熱延工場新設(2000年1月)

船町空撮(2006年1月)

100th Anniversary 中山製鋼所100周年100th Anniversary 中山製鋼所100周年

100年の感謝を胸に未来へ躍進

中山製鋼所の軌跡HISTORY

創業から銑鋼一貫メーカーへ

創業から銑鋼一貫メーカーへ

  • 1919年 9月
    兵庫県尼崎(現・尼崎市西松島町)において中山悦治個人経営で日本初期の亜鉛鉄板作業所を新設 操業開始
  • 1920年 4月
    関西亜鉛鍍金工業所設立 三星印の商標設定
  • 1923年 12月
    (株)中山悦治商店を設立
    〔設立:12月22日、資本金:50万円、本社:大阪市 西区〕
  • 1925年 12月
    東京支店開設(日本橋区)
  • 1929年 1月
    現・船町工場において大阪市唯一の薄板工場を新設
  • 2月
    尼崎の亜鉛メッキ工場設備を船町へ移設
  • 1933年 4月
    製鋼工場 第1号平炉操業開始
  • 6月
    線材工場 操業開始
  • 7月
    厚板工場 操業開始
  • 1934年 2月
    中形工場 操業開始
  • 5月
    小形工場 操業開始(棒鋼生産)
    製鋼工場第2、3号平炉 操業開始
  • 1934年 9月
    (株)中山悦治商店を(株)中山製鋼所と商号改称
  • 1935年 5月
    本社事務所竣工(設計:村野藤吾)
  • 1936年 6月
    中板工場 操業開始
    電気炉工場 操業開始
  • 1939年 7月
    第1高炉(450トン/日)及び付属設備建設
    銑鋼一貫体制を確立(450トン/日)

事業基盤整備と設備近代化

事業基盤整備と設備近代化

  • 1940年 8月
    第1コークス炉稼働
    野球部 第14回都市対抗野球大会ベスト4へ進出
  • 9月
    電気炉増設
  • 1941年 9月
    第2高炉(450トン/日)及び付属設備 操業開始
  • 1942年 9月
    第4工場用地取得
  • 1945年 8月
    終戦により全工場休止
  • 12月
    第2代社長 中山育雄 就任
  • 1946年 5月
    電気炉工場及び線材工場 操業開始
  • 1949年 12月
    証券取引所に株式上場再開(東京、大阪、福岡市場)
  • 1951年 2月
    薄板工場 操業開始
  • 7月
    亜鉛メッキ工場 操業再開
  • 1953年 3月
    第2高炉及び付属設備改修火入れ(第2次)
    銑鋼一貫体制に復帰
  • 1954年 3月
    1号発電設備(6,000kW)新設
  • 1956年 4月
    厚板工場 移設改造 操業開始(4工場)
  • 1957年 1月
    第1高炉及び付属設備改修火入れ(第2次)
  • 1960年 10月
    名古屋製鋼所竣工 操業開始
  • 1962年 6月
    清水製鋼所竣工 中板工場新設 操業開始
  • 1963年 6月
    フープ工場 操業開始
  • 1964年 4月
    名古屋製鋼所 軽量形鋼工場新設 操業開始
  • 1970年 8月
    西本岸壁完成
  • 1971年 1月
    名古屋製鋼所 電気炉新設 操業開始
  • 1972年 12月
    自主管理活動(JK活動)始まる
  • 1973年 3月
    第1回社内自主管理活動発表大会開催

企業体質強化

企業体質強化と新規事業拡大

  • 1975年 9月
    転炉工場新設 操業開始
    (平炉・普通造塊から転炉・連続鋳造へリプレース)
  • 1979年 2月
    連続亜鉛メッキ工場 改造
  • 1981年 2月
    第1製品倉庫(当時)新設完成
  • 1981年 9月
    新棒線工場新設 操業開始
    (1981年9月棒鋼、1982年1月線材)
  • 1983年 10月
    第1高炉新設改修火入れ(第5次)
  • 1984年 3月
    第2製品倉庫新設完成
  • 1985年 10月
    尼崎工場(旧・尼崎製鈑)売却
  • 1986年 10月
    新形鋼工場新設
  • 1987年 11月
    硬式野球部 第14回社会人日本選手権大会に初出場初優勝

経営環境の変化と合理化推進

経営環境の変化と合理化推進

  • 1989年 6月
    研修所新設
  • 1991年 4月
    直流電気炉新設
    及び連続鋳造設備改造
    エネルギー・プログレス計画がスタート ガスタービン・コンバインド型発電設備(37,000kW)新設
  • 5月
    コークス乾式消火設備(CDQ)新設
  • 1992年 12月
    公道清掃ボランティア開始

業績悪化の中新たな挑戦へ

業績悪化の続く中新たな挑戦へ

  • 1993年 8月
    硬式野球部 第64回都市対抗野球大会でベスト8進出(東京ドーム)
  • 10月
    三星機工(株)を合併
  • 1997年 7月
    硬式野球部 第68回都市対抗野球大会出場
  • 1998年 9月
    品質マネジメントシステム国際規格 ISO9002認証取得
  • 1999年 3月
    硬式野球部休部
  • 4月
    中山共同発電(株)船町発電所運転開始
  • 11月
    環境マネジメントシステム国際規格 ISO14001認証取得
  • 2000年 1月
    熱延工場新設
  • 2000年 4月
    中山名古屋共同発電(株)名古屋発電所運転開始
  • 10月
    名古屋製鋼所、清水製鋼所を中山三星建材(株)へ移管

構造改革による経営基盤強化

構造改革による経営基盤強化

  • 2001年 12月
    NFG(微細粒熱延鋼板)の開発に成功、世界初の工業生産開始
  • 2002年 7月
    高炉工場、焼結工場、転炉工場 休止
  • 9月
    NSR(中山式冷鉄源溶解法 転炉改造)稼働開始
  • 2003年 3月
    中山共同発電(株)・中山名古屋共同発電(株)を
    (株)ガスアンドパワーインベストメントへ譲渡
  • 2004年 3月
    第50回大河内記念技術賞受賞
    「超微細粒熱延鋼板の製造を可能とした偏芯異径片駆動圧延設備の開発」
  • 8月
    新日本製鐵(株)とのボルト製造新会社(株)NSボルテン発足
  • 12月
    フランス鉄鋼協会ベストワン賞を受賞
    「中山熱延ミルの最新技術」
  • 2005年 4月
    新日本製鐵(株)との棒線製造会社 (株)NS棒線を設立 設備稼働
  • 9月
    グリーンプロジェクト・キックオフ「3年間で3万本」
  • 2006年 2月
    日本鉄鋼連盟 第47回鉄鋼安全表彰船町工場「努力賞」初受賞
  • 9月
    日本鉄鋼連盟 第68回自主管理活動発表大会「感動賞」初受賞
  • 10月
    直協 総合無災害記録550日達成、社長賞「金賞」初受賞
  • 2007年 2月
    日本鉄鋼連盟 第48回鉄鋼安全表彰船町工場「努力賞」を2年連続で受賞
  • 5月
    第1製品倉庫
  • 9月
    日本鉄鋼連盟 第69回自主管理活動発表大会「感動大賞」初受賞

  • 電気炉連続鋳造機 増厚・拡幅改造
  • 2008年 1月
    熱延工場コイルボックス新設稼働

痛みを伴う改革断行

痛みを伴う改革断行

  • 2010年 5月
    NSR(転炉工場)、コークス工場休止
  • 2012年 7月
    厚板工場休止
  • 12月
    中山製鋼所附属病院及び介護付有料老人ホーム事業を譲渡
  • 2013年 3月
    地域経済活性化支援機構による再生支援決定
  • 4月
    アモルファス事業を分社化

新生中山製鋼所の始動

新生中山製鋼所の始動

  • 2013年 7月
    グループ会社5社を完全子会社化(株式交換)
  • 8月
    第三者割当増資を実施
  • 2015年 2月
    転炉工場跡地売却
  • 6月
    東京支店再開(中央区日本橋)
  • 2016年 3月
    地域経済活性化支援機構による再生支援完了
  • 10月
    株式併合、単元株式数の変更
  • 2017年 4月
    全社無災害記録730日達成
  • 11月
    マレーシア製造規格認証取得(メッキコイル)
  • 2018年 9月
    日本鉄鋼連盟 第80回自主管理活動発表大会「優秀賞」初受賞
  • 2019年 3月
    第10製品倉庫完成
創業者中山悦治(1884 - 1951)

創業者中山悦治
(1884 - 1951)

船町薄板工場外観

船町薄板工場外観

高炉火入れ式

高炉火入れ式

第2高炉再開

第2高炉再開

第2高炉再開火入れ式 当日の大船橋の看板

第2高炉再開火入れ式
当日の大船橋の看板

名古屋製鋼所

名古屋製鋼所

清水製鋼所

清水製鋼所

転炉

転炉

転炉連続鋳造設備新設

転炉連続鋳造設備新設

線材ステルモア完成

線材ステルモア完成

第14回社会人野球 日本選手権大会優勝場内行進

第14回社会人野球
日本選手権大会優勝場内行進

熱延工場新設

熱延工場新設

高炉休止式

高炉休止式

感動大賞初受賞

感動大賞初受賞

中山製鋼所創業者 中山悦治THE FOUNDER

中山製鋼所創業者 中山悦治 写真

中山悦治は、明治16(1884)年7月福岡県京都郡作並に生まれた。少年時代の悦治は人一倍負けん気が強い腕白小僧だったが、反面明るく人懐っこい性格で誰からも愛された。
負けん気の強さは生涯変わることなく、文字通り裸一貫で数々の障害を乗り越えて、銑鋼一貫メーカーを作り上げる原動力となった。

生家は代々庄屋を勤める名家であったが、父の代で破産し悦治は県立豊津中学を2年で退学することになった。その後様々な職業を経た後、八幡製鐵所の労働者派遣業に従事し、めきめきと頭角を現し共同経営者にまで上り詰めた。
しかし、日々八幡製鉄所の活況を目の当たりにしていた悦治は、現状に満足することなく自ら鉄鋼業に参入することを決意し、大正8(1919)年9月兵庫県尼崎市松島(当時)に個人経営で亜鉛メッキ作業所を建設しトタン板の製造を始めた。丸太小屋にメッキ窯1基、従業員10名(うちメッキ経験者1名)の正に零細企業であったが、これが中山製鋼所100年の歴史のスタートとなった。徐々に規模を拡大し、翌年には関西亜鉛鍍金工業所を設立したが、ここで大きな転機を迎えることになった。当時はトタン板の原料となる薄板(薄鋼板)の入手に時間が掛かるため、悦治は一括で大量購入をしたが、日本全体が不況となり大量の在庫が経営を圧迫した。

大正9(1920)年9月1日、関東大震災が起き関東一円に壊滅的な被害をもたらした。復興資材としてトタン板が飛ぶように売れ、価格が震災前の3倍以上に高騰したが、悦治は被災者の窮状を慮り直売ルートを通じ市価より安く供給し、非常に感謝された。また、復興担当官庁からの大口注文にも、陣頭指揮によるフル生産で対応し適正価格で納入したため、政府より感謝状を贈られた。
このとき得られた信用と資金を元に大正12(1923)年12月㈱中山悦治商店を設立し、昭和3(1928)年1月、現在の大阪市大正区船町に進出し、㈱中山製鋼所と改称。船町進出後は、まず薄板の自社生産に着手し、ついで薄板原料のシートバーを自社生産し、更に平炉、線材、厚板各工場を建設した。これで満足することなく、更に上工程へと遡上し、昭和14(1939)年7月、ついに念願の第1高炉を建設し、創業20年で民間では日本で二番目の銑鋼一貫メーカーとなった。
昭和20(1945)年終戦とともに社長を息子の育雄に譲り、経営から手をひき、昭和26(1951)年12月永眠した。葬儀には悦治の交際の広さを物語るように、政財界・芸能界の著名人が多数参列し、別れを惜しんだ。

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「星(スター)」

  • 当社のシンボルマークである「スリースター」から星をメインデザインにしている。
  • 中山製鋼所の「N」と、グループ各社の「N」が繋がって大きな星を形作り、中山製鋼所グループが連携し、1つになるというメッセージを込めている。
  • 100周年を契機にグループ全体で、より大きな目標にチャレンジしていく姿を表現している。

キャッチコピー
「100年の感謝を胸に未来へ躍進」

  • 先人の努力への感謝とともに、今後も感謝の気持ちを忘れてはならないという思いと、次の100年に向け努力し、次世代に繋げていくという意志を込めている。